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つるぞのちゃんのチャメブログ

茶目っ気たっぷりのブログだからチャメブログ♡世間の常識から逸脱してゆるりゆるりと生きていくための浮世離れ的ライフスタイルを提案します!

詳細プロフィール

じめまして。

まずはこのブログを訪れてくれてありがとうございます。

大阪の東大阪市で、父の経営する法務関係の事務所を手伝う傍ら、アマチュア小説家、フリーのウェブライター、ブロガーとして活動している水流苑まちと申します。

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この記事ではわたしの詳細なプロフィールをまとめてあります。内容は必要に応じてその都度変更していきますので、あらかじめご了承下さい。

 

基本データ

  • 29歳(2017/03/15現在)
  • 趣味は、読書、小説・ブログ・エッセイなどを書くこと、手芸(布小物やアクセサリー)、手抜き料理・老化に関する研究など
  • 心屋仁之助さんや大木ゆきのさんが広めている「がんばらない」生き方を実践中
  • 最近読んで気に入った本は、『まぶた』(小川洋子)、『影を買う店』『少女外道』(皆川博子)、『シュルレアリスムとは何か?』(巖谷國士)、『ハコブネ』(村田沙耶香)など
  • もらってうれしいキーワードは、無添加・マクロビ・甜菜糖・精製度の低い砂糖使用、低GI、アンチエイジング、手づくりキット、その他生活が豊かになるもの
  • 煙草の煙を吸うと二日酔いと同じ状態になって寝込みます
  • IBS(過敏性腸症候群)を克服した経験あり(完治、ではなく、克服)

 

仕事について

務所では主にホームページやブログの運営、書類の文章チェック、ニューズレターの執筆(一部)・修正、経理事務などを担当しています。父は書類を書く仕事が多いのですが、ここだけの話文章がめちゃくちゃ苦手なので、わたしがゴーストライターとしてその仕事を支えています。

その他、ホームページのコンテンツやブログも、内容はほとんど父に考えてもらっていますが、文章として組み立て直しているのは私です。

ウェブライターの方は、株式会社ウィルゲート様が運営する【サグーライティングプラチナ】というサイトを通して、クラウドソーシングという形で仕事を受注しています。現在、お取り寄せグルメライターやダヴィンチ・ニュースというサイトの書籍レビューなどをやっていました。(※現在は受注をストップしています)

以前、クラウドソーシングで活躍する一人ということでインタビューを受けたことがあります。

 

www.willgate.co.jp

ブログは全部で四つほど運営していますが、メインで更新しているのは、このブログと、「楽に楽しく自由に生きる方」というテーマで書いている『嘘にまみれた「私」の脱ぎ方』の二つです。

広告をクリックしてもらうことで収入が入るグーグルアドセンスやリンクから商品を購入してもらうことで売上の一部が収入となるamazonアソシエイト、楽天アフィリエイト、A8.net、nendなどからアフィリエイト収入を得ています。

……が、今のところ月々の収入は小学生のおこづかい程度です。お金のために書いているというよりは、楽しいから書いているという感じです。

 

創作活動について

説の方は、大阪文学学校という小説と詩の学校で通算四年学んでいました。最初の1年は高校三年生のときに夜間通学部に、残り三年は経理事務として働いていた会社を辞めてから通信教育部に在籍していました。

そこで、自分の書いた作品について指導してもらいながら、年に四回開催されるスクーリングでクラスメイトの作品の批評を行ったりしていました。学校が発刊している『樹林』という同人誌に載せる作品の選考委員をさせてもらったこともあります。

最近まで本気で作家を目指していましたが、いまは純粋に書くことを楽しむという方向へシフトしつつあります。

 

これまでの人生について

こからは、わたしのこれまでの人生についてじっくり語っていきたいと思います。かなり長くなるので、お時間&興味のある方だけどうぞ♡

 ・生誕秘話

和63年2月某日。大阪府・東大阪市に生まれる。

性別判断に慎重な医師が「私はなるべく性別を伝えたくないんだけど、この子は間違いなく男の子です。太鼓判を押してもいいくらいだ」と宣言していたにも関わらず、生まれてみると女だった。

お腹の中にいるときからとんでもない暴れ馬だったらしく、生まれてきたわたしを見た母はわたしを見て一言「怪獣みたい」とつぶやいたそう。

 

・問題児っぷり全開の幼少期

室から紙ふぶきを散らして園内を紙くずだらけにしたり、幼少期に多いといわれる虚言癖を発症した結果、「先生に意地悪をされた」という内容の記事が新聞に掲載されてしまったり、何かと問題行動の多い幼少期を過ごす。

 

・ガサツな小学校時代

学生のころは、後部を刈り上げるほどの短髪&ボーイッシュな服装が多かった上、行動がガサツだったので、男子からはあまり女の子として扱われなかったように思う。

しかし、それでも自分は可愛いと信じて疑わなかった。

常に好きな子が複数人いる状態で、一人については自宅のポストまでラブレターを入れにいったこともあったが何の音沙汰もないままだった。

モテないのは髪型のせいだと思い込み、母親の反対を押しきってミディアムまで伸ばしてみるも、結局、一人も彼氏ができないまま卒業式を迎える。非モテ女子万歳!

ちなみに、クラブ活動は卓球部と科学部(べっこう飴につられて入部)だった。

 

・鈍感力で比較的幸せに過ごした中学生時代

区の関係で小学校の友だち全員と離れて地元の中学校に入学。

誘われるままに遊ぶうちに、いわゆる不良グループに入ってしまう。

しかし、

  • 一緒に遊んでいる先輩が知らぬ間に万引きをしたりしていてビビる
  • なぜか他校の先輩は混ざっているなと思ったら、こっちの中学で人を刃物で刺すというとんでもない事件を起こして転校させられた人だった

というようなことが続いて怖くなる。

異物感が半端なかったので、徐々に軌道修正をして、ごく普通のグループに移籍する。

そこで仲良くなった友だちとは現在もたまに集まる仲。

部活は一学期だけバレーボール部、その後、仲良しの友だちが入っているという理由でソフトボール部に。

一部の人から嫌がらせを受けることはあったが、そういうことに鈍感だったため、先生から「いじめられてないか?」と聞かれてはじめて自分が嫌がらせを受けたことに気づくようなこともあった。

たしか、『鈍感力』という本があったと思うが、わたしも自分を不幸にするような出来事に対しては鈍感になることをおすすめする。鈍感な人は無敵!

 

・残念な高校時代

装が残念なだけでなく目立つものだったため、たちまち学年中の噂に。(でも、実際どこまで有名だったのかは謎)

とにかく人と同じことが嫌いで目立ちたがり屋だったことが災いしてしまった。
恥ずかしいわ、まともな男の子にモテない(変な人にはそれなりにモテていた……気がする)わで、一時期悩む。

が、服屋を変えたり、ショップ店員さんに相談したり、化粧を覚えたりするうちになんとか見られる状態にまでなる。

一年生のときに整骨院でアルバイトを始めたものの、仕事に対する姿勢がなっていなかったこともあって仕事がなかなか覚えられず、院長に聞えよがしに嫌味を言われるように。嫌になっていたところ、家で事件を起こしたことが原因で無断欠勤するはめに。その後、怒られるのが怖くて一ヶ月分の給料約6万円をあきらめ逃亡。

当時、これといった趣味がなかったため、バイトをやめたことで友人と会話する話題がなくなる。このままではいかんと思い、誘われるまま陸上部のマネージャーに。

部員はのほとんどが男の子だったため逆ハーレム状態に。冒頭で書いたとおり、「噂のせいでまともに相手してもらえないのではないか」という不安は杞憂に終わった。

謎のモテ期に突入した私は、恋人をとっかえひっかえするうちに、気づいたら部内が元彼だらけという気まずい状況に。

今振り返ってみると、親密な人間関係を続けるのが苦手だったため、ある程度仲が深まってくると、それ以上自分のことを知られるんが怖くなって逃げ出すという構図だったように思う。

こんな感じであったにも関わらず、同級生・先輩・後輩に関わらず、みんな仲良くしてくれていたので、部活時代は今でもいい思い出。

二年生の途中から学校を休みがちになっていったのだが、それでも部活にだけは顔を出したりしていた。

 

・高校中退から大阪文学学校時代まで

年生で不登校になり、やがて中退。ただし、母の勧めで高校卒業程度認定資格(法律上は高校を卒業した者と同等の資格があると認められる。求人の『高卒以上』にも応募可)を取っていたので、曲がりなりにも高卒となる。

その後、ほぼひきこもり状態で受験勉強をして、一年遅れで近所の大学の文学部を受験。しかし、ぎりぎりのところで不合格。

「落ちたら大阪文学学校に通う」と決めていたので、そっちに入学。受験した大学のコンビニでバイトをしながら、週に一回のペースで通い始める。

バイトと学校の人間関係が良好だったおかげで、対人関係への不安もかなり改善される。周囲に同年代のフリーターが多かったこともあって、徐々に就職のことを考え始める。

商業大学に通っていた弟の真似をして簿記の勉強を始める。その後、日商簿記検定3級→2級の順に合格。

そのころ、ちょうどバイト仲間が就職のために仕事を辞めると言い始めたので、流されるままに退職。就活を始める。

 

・変人・奇人の集まるブラック企業で濃い三年半を過ごす

き直って素で面接を受けるようになったころに、運よくいくつかの会社に受かり、最終的に一番ゆるそうなところを選ぶ。たしかに、ゆるゆるだったが、伝票ねつ造・社長の暴力・サービス残業は当たり前というブラック企業だった。

ただし、女性に限っては、残業といっても月に十時間もない程度だったので、そこまで環境は悪くなかった。給料も訳あり高卒にしてはもらっている方だったように思う。

そのころ、過敏性腸症候群と社交不安障害に悩まされていた私は、入社時に「生きていたら犯罪以外何をしてもOK」というルールを自分に与えておいた。そうすることで、自分を押し殺す癖を克服しようと考えたのだ。

その甲斐あってか、周りの人は「この子はこういう子だから」とあきらめてくれるようになり、少々のわがままなら通るように。浮くことも覚悟していたが、幸い変人・奇人が集まっていたため普通に受け入れられる。それまでは自分の変な部分を恥ずかしく思うことがあったが、退職するころには「わたしは普通すぎてつまらない」と思うように。

また、入社二年後くらいに『引き寄せの法則』と出会い、スピリチュアリズムに傾倒するように。実践するうちに、「ここを辞めたら私みたいな人間が働けるようなところはない」という保守的な考え方から、「自分次第でいくらでも人生は切り開ける」という前向きな考えに転向していく。

寝る時間を削って創作活動に打ち込んでいたこともあり、「もう一度、書くことに集中してみたい」という思いも強くなっていた。

 

・父の起業を機に退職し、大阪文学学校に再入学

ょうどその時期に父が事務所を始めたので、その手伝いをするという名目で退職。当初は経営が軌道に乗るまで無給で働き、貯金で生活費を入れるつもりだったが、母の好意で免除される。

このタイミングで大阪文学学校に再入学。しかし、時間がありすぎると人間、無気力になるらしく、思うように創作は進まなかった。

それでも、年に四回の〆切と先生の励ましのおかげでなんとか書き続けること二年。

あるとき、「もっと過酷な環境に自分を置いて、書かざるを得ない状況を作りたい」と感じ、ひとり暮らしを考え始める。自活することで「ひとりでも生きていける」という自信をつけたいという思いや、理想のライフスタイルを作り上げたいという願望もあった。

また、はじめて個人で仕事を頼まれ、三十万円ほど稼いだということである程度自信もついていた。「わたしにも自分でお金を稼ぐ才能があるんじゃないか?」と。

 

・収入8万円の状態でひとり暮らしスタート

のころには、父から給料をもらえるようになっていたのだが、月に8万円程度だったので、生活資金としては不十分だった。

当然、そんな状況でひとり暮らしをすれば、毎月赤字が出ることになる。切羽も詰まってくるだろう。わたしは、そうなったときに自分が底力を発揮するのではないかと考えた。そして、それに賭けてみることにしたのだ。

「月に十万円程度もあれば十分」という考えがあったので、気持ち的には楽だった。いざ貯金が尽きても、残り二万円程度なら比較的簡単に稼げるだろうと。

 

・ウェブライターとして働き始める

初はブログ収入で食べていけるようになることを目標としていたが、思うように売上が上がらなくてジリジリしていた。

一時はアルバイトとして働きに出ることも考えたが、それだとまた同じことの繰り返しになると気づいて思いとどまる。

なんとか書くことを収入につなげる道はないかと模索するうちに、上の方でもご紹介っせていただいたサグーライティング・プラチナと出会い、ウェブライターとして仕事を受注するように。

最初は月に二万程度稼ごうと考えていたが、働くことが楽しくなってきて仕事を増やし始める。

 

・思い切ってブログの執筆に全力投球してみることに

勢いよく稼ぎ始めたまではよかったものの一瞬で仕事に飽きた。このまま辞めてしまうのは中途半端かなと思いつつも、それ以上にブログの執筆が楽しく、ライターの仕事をしている時間が惜しくなってくる。

迷ううちに「単価で働くよりも、未知の可能性に賭けてみたい」という気持ちが強くなってきたので、その後ライターの仕事はすべて断って、ブログに打ち込み始めました。

 

・カウンセラーとして活動し始める

カウンセラーに興味を持ち、ブログで無料モニターを募って経験を積んだ後、実際にお金をもらってカウンセリングを始める。

しかし、二人の方とお会いしたあと、心屋認定講師さをりんさんの初級セミナーを受けたことで「書くことだけを仕事にしたい」という自分の本音に気づき、あっさりカウンセラーとしての活動を停止。

 

・小説やエッセイを書くことだけに専念

その後、気が向いたときだけ実家に出勤しながら、ほとんどの時間を小説とエッセイを書くことに費やすように。

昨年の秋頃から立て続けに作品を文学賞に応募し始め、2017年1月、第一回kino-kuni文学賞の佳作に選ばれた。

現在もせっせと作品を書き上げては適当な賞に応募し続けている。

 

以上、最後までお読みいただいてありがとうございました。 

 

※2017/03/15 写真、年齢情報を更新しました。他、本文を大幅に加筆・修正しました。

※2016/07/09 基本情報の追加、誕生日の変更などいくつか変更を加えました。